あしためがさめたら
そいつはいつもふらりとやって来るから、あたしはほとほと困ってるんだ。
「やぁ」
「なんでこんな雨が激しい日にわざわざ来るんだよ」
「今日、レースだったから」
「知ってるよ、こっちじゃなくて家に帰れよな」
「レース場から寮のほうが近かったんだ。細かい事はいいでしょ? 入れてよ」
「まったく、びしょ濡れじゃんか。ほら、鞄」
「あぁ、持ってくれるんだ。ありがとねエース」
久しぶりの雨続きだった。今日なんか、朝からずっと土砂降りだ。雨がざぁざぁと音を立てながら、雨粒が窓を叩いてる。
こういう休みの日は、なんにしろ室内で過ごすのが普通だ。それに一人で過ごすのは苦じゃなかった。田舎暮らしで、同じ年頃のヤツは少なかったものだから。なのに。
ミスターシービー。
どこまでも天衣無縫で、旅から旅ぐらしみたいに自由ウマ娘。でも走るとすっげえ速いんだ。
大雑把にいえば、あたしの片思いのライバルみたいなやつ。
「なぁ、来る前に連絡ぐらいしろよな。いなかったらどうするんだよ」
「えー、今から行くなんて堅っ苦しいよ。嫌だなぁ」
「あたしが気にするんだよ。いなかったらまた濡れたままフラフラするだろ」
「心配性だなぁエースは」
わかってるよ。シービーがそういうやつだっていうことは。
だから言っても無駄だけど、あたしは気になるんだ。
「だって、風邪引いちゃうだろ」
あたしがそう言うと、シービーは眼をまんまるにして、それからくすくすと微笑む。
へんなやつ。
喋りながら洗面所の棚からバスタオルを一枚持ってきて、シービーに渡した。シービーが身体を拭いている間にあたしはドライヤーのコンセントを挿す。
「シービー、こっちに来てくれ」
「わ、髪乾かしてくれるの?」
「そうだよ。線が届かないから、ほらこっち」
ぶわぁぁぁぁぁ。
ドライヤーが唸る。髪、長いなぁシービー。
ぎゅるるるる。
お腹も唸ってる。シービーの。
「おなかすいたな」
「寮のキッチン行かないとないぞ」
「えー、じゃぁいいよ」
「よくない、食べろって。取ってきてやるから」
「コンビニ行こうよ、エース」
「だから、雨だって」
「雨好き」
「だぁぁぁ、もう!」
「あはは」
あたしは大きく溜息をつく。
このとおり、シービーとの関係は手押し相撲みたいなんだ。押しても、引かれるだけ。
「ねぇ今日泊めてよ」
「やだよ。ご飯食べたら帰れ。タクシー呼ぶから」
「じゃぁ、もう少しだけ。雨脚が止んだら、歩いて帰れるでしょ? ね、きまり」
「まぁ、少しだけならいいけど──」
「あ、このコーヒー飲んでいい?」
「切り替えが早すぎだろ!」
バスタオルを洗濯かごに放り込んで、ゴソゴソ着替えながら勝手に棚を漁っている。
そもそも、そのインスタントコーヒーは前にシービーが置いてったものだ。
コーヒーなんてあたしは飲まない。眠れなくなっちゃうし、にがいのは苦手だ。
「それ、結構前のやつだろ。日付見てから飲めよ。あとそこのお菓子、たべていいから」
「はぁい」
あたしの寮部屋はそんな風にどんどんシービーの私物が増えていってる。
マグカップも、カレンダーも、Tシャツも、下着も、歯ブラシも、化粧品も、枕も。お泊りに必要なものは何でも揃ってる。
今日はいない同室のパーマーはいいよいいよ、なんて笑っていうけど絶対おかしいだろ。迷惑かけてごめん。
でも好き放題されるのはムカつくから、カレンダーにあたしの予定を勝手に書いたり枕を使ったりしてる。
でもシービーはちょっと嬉しそうにするから、あんまり意味がない。自由でいいじゃんって。
「む、Tシャツからエース臭がする」
「ちゃんと洗濯してるぞ」
「いい匂い」
「へんなこというな」
変なこと言うな。
ズズッとコーヒーを啜る。熱っ。
あたしはいらなかったのに、シービーが二人分淹れたから。でもやっぱり苦いよ。
「あはは、猫舌?」
「悪いかよ」
「アタシもだよ。冷めるまでまとうよ」
「うん」
「あ、なんだかエースの話し方がちょっと柔らかくなってる」
「なんだよ」
「可愛いなって」
「ぬあぁぁあ!」
あたしはうまく距離を取ってるつもりなんだけど、振り回されないよういつも必死で。
急に距離を詰めたり詰められたりは、あんまり得意じゃないんだ。あたしは逃げだから。
「ねぇエース、明日起きて晴れてたら買い物行こうよ」
「泊まる気まんまんか」
帰る気はないらしい。
窓のそとには雨の夜。
かたかたと窓は鳴り続けている。
今すぐやんだらこいつも帰るかなぁ。と考えて、だったらちょっとやんでほしくないなとか思う自分に驚いた。
一番そばにいて心地が良いのは、やっぱりシービーかもしれない。
その考えは、ひどくしっくりとあたしの心になじんだ。