椿サクラハリケーン
花には、魂が宿るという。……きっとどんな花も長く生きられずに枯れてしまうのは、中に宿っているモノがひとのそれだからに違いない。儚い人生をわがままに生きるその様や、別れ際のせつないところなんか、ほんとうそっくりなんだ。
私はそんなあなたに一目惚れしたのよ。
◇
「はぁ。これじゃぁ仕事に集中できないわ」
ここは午後二時の桜舞う河川敷。
ねえ、聞いてくれる?
サクラローレルのこと。綺麗な名前でしょ、私の担当ウマ娘なの。
その瞳にあつらえられた桜は、まるで春に恋い慕われたみたいで。
だけど優しい見た目と裏腹に、心の一番深いところに焼き付いて消せないような夢を持ってるんだ。
────世界の頂点。
見習いの私に支えることなんて出来るのか?
ううん、弱気になるな。あの子はちっとも不安に思っちゃいないんだから。
「私がしっかりしなきゃ!」
「元気いっぱいですね? 椿さん」
びよぉん! と、たけのこが伸びるみたいに背筋が伸びた。
ぎりぎりぎりって、仕掛け人形みたいに振り返る。
「あ、あああえっと、ろろろローレル?」
「ふふっ、ろろろローレルではないですよ? 昨日も明日も変わらず、サクラローレルです」
「あ、えっと…………ええ! き、綺麗な名前だと思うわ!」
あああ、もう! なんてあべこべな返事。
相手は年下なのに、うまく喋れないのがもどかしい。
だって言うのにローレルは「嬉しいです」だなんて綺麗に笑って。
どっちがトレーナーなんだか。ぐぅ。
「私も桜を見に来たんです。何を悩まれていたんですか?」
「だ、大丈夫。雲の数を数えていただけ。それが私のリフレッシュなのよ」
「わ、そうだったんですね。すごい、青いっぱいの空ですけれど」
「────まぁ、そうだけど」
「それより、椿ちゃん」
「ちゃん?」
「さっきの話の続きです」
さっきの話、と聞いて一瞬なにの話かわからなかった。
一呼吸置いて、ああ名前の話だった、と思い出す。
「私、椿ちゃんの名前も好きですよ?」
「え?」
「明しいつばき。お日さまが飾した花みたいで、なんだか風流です」
「うーん、そうかなぁ」
「そうなんです。でも、もっと好きなところがあって。椿と桜の違いって何だとおもいます?」
「えー……、椿が私でサクラがあなた」
「もう、適当。ちがいますよう」
可愛らしく頬を膨らませてローレルがいう。
それから、私の手を自らの手でやさしく搦め取った。
じんわりと唇に微笑みを浮かべて。
「───椿のほうが早咲きなんです。だから。ふふっ、春のお姉ちゃんですね?」
その声は響きが美しく、川べりの風に乗って良く通った。
私はそのときやっと、ちぐはぐな二人の糸がほぐれたみたいで、親愛に親愛を返すごとくローレルの手をぎゅっと握ったんだ。
「たはは。だったら椿ちゃんじゃなくて、椿お姉ちゃん、でしょ」
「あは……ごめんなさい。ヨシノちゃんが椿ちゃんって呼んでいたから。でも、私を選んでくれた私のトレーナーですもん!」
澄んだ悪戯心を底でゆらゆら揺すらせるみたいにローレルは言う。
スカウト、とっても嬉しかった。あなたで良かった、なんて人懐っこく。
私はローレルの瞳に映る私を見る。心の剥がれる音がした。
私だってそんな風になれたなら。自分でラインを引いた内側に、あなたを連れ込む事が出来たなら。
……私さ、みっともないよ。違うだろ、明石椿!
「本当はね」
「はい」
「雲を数えていたなんて、嘘なんだ。あなたを支えることが出来るのか、私でいいのか、なんて弱気になってた。でもそうじゃなかったんだ。私じゃないと駄目なんだわ」
「……──知ってます。だって、椿ちゃんのひとりごと。おっきいんですもん、ふふっ」
「……、……、ぐにゃぁぁああ!」
「わぁ、ねこちゃんだ」
春の妹は笑ってる。本当に嬉しそうに笑ってる。その笑顔は多分、私の様子が面白いだとか、おかしいとか、その程度の表情じゃないんだろうって、分かるんだ。
ローレルは頬を桜色に染めて、宣誓するみたいに胸に手を添えた。
「ねぇ、トレーナーさん」
「うん」
「私、私の本当を全部にあげたいって思ってます。誰にだって。こういう脚ですから。支えてくれたお父さん、お母さん、ヴィクトリー倶楽部。私に関わる全てのみんな。そして、あなたにも」
(──ローレル)
「だから、夢を叶えたその時に。椿ちゃん。あなたがいたからって、言わせてくれませんか」
……起こることの大半は自分では操れない。けれど、それにどう向き合うかは自分次第だ。
境遇に病むこともなく育った、花のようにまっすぐな笑顔には裏も表もなかった。
はじめてこの子の本質が理解できた。この子は承認なんか求めちゃいないんだ。
じゃぁ私がこの子に与えられるものって何?
希望、愛、献身。駄目だ、そんなの捧げるにはあまりに不確かで、差し出すには難しすぎる。
だとしたら、そうならば。
わたしはまだまだ見習いで、未熟で、ドジだけど。
それでもわたしと咲きたいと、そう言ってくれますか。
「────、もう、ああ、もう! 決めた。ローレル、わたし決めたわ!」
「わわ、わ、なんだか椿ちゃんがおっきくみえます!」
あなたの夢を本物にするんだ。
わたしの夢を本物にするんだ。
「するよ。ローレルの為なら、何でもする。任せておいて!
春も咲かす。夏の暑さにも秋風にも負けない。雪も溶かして、絶対に咲かすんだ。そして行くんだ!」
春の花を冠した私達二人で絶対に。
人生のその一瞬を烈しく咲いてみせるんだ。
まってろパリロンシャン!
「えー、……かわいい」
「え、今のが? 私はうわ重っ、自分勝手、ってなるけれど」
「私が向いてる方向が前って感じで、全部全部巻き込んで台風みたい」
「たはは、そう。私は優しくないよ。ローレルには私の春一番の被害者になってもらうからね」
「椿桜前線かぁ」
「何よー」
「ふふっ、別にぃ」
風で辻を巻いた桜が花筏となって水面を流れていく。
桃色の曙を映しこんだ鏡のような川に虹が差して、七色の彩が加わる。
うん、サクラって本当に。綺麗ね。
「つーばーきーちゃーん」
でも、休日の朝早くから家にまで来るのはちょっとヘンだと思う。かわいいけど。
この子が好きを武器にするオープンファイアなタイプだと気づいたのはこの頃だ。
「おーはーよーヴィクートリー♪ 今日も花マル、元気いっぱいごあいさつ───」
「おはよう、今開けるから。ローレル、何でもするって言ったけどこれは違うと思うの」
「もう、何言ってるんですか。門限があるんですから、ちょっとでも早く来たいんです。フランス雑貨巡りに行くんです!」
寝起きスリッパでずるずると玄関を開けたら、太陽の光と、満面の笑顔。
こっちは見せられた顔じゃないけど、ありのまま正直なのが幸せだからどうだっていいんだ。
だから、返すのは笑顔。
……暗に少しでも長くいたいと言われて悪い気はしないから。
ね、ローレル。あなたが望むならなんだって。