逢いにいらして

 

 

 

「会長、素敵なお知らせと残念なお知らせがあるのですが、どちちから聞きたいですか?」

「す、素敵なお知らせだけで」

「では残念なお知らせから」

 ひと仕事をおえて、今は春のうたかたに満たされた昼下がりの中庭。
 エアグルーヴが怒っている。
 かろく結んだ紅い唇がつんと感情を尖らせて、私は怒っていますと、懸命に伝えてくる。
 
「今日会長が強奪なされた私の仕事の累計が10件を超えました」

「そ、そうだったかな」

 ぐぐぐ。私は右腕をがっちりとホールドされている。笑顔でこちらを見上げるエアグルーヴの声色はなんだか恐い。しかしこれにはやんごとない理由があるのだ。
 
「5件までは『もうまたですか』と見過ごそうかと思ったのです。
 しかし10件とは、とてもいい心がけですね? 会長」

「ええと、ええと……はは」

「どこを見ているのですか」

 春空にうんうんと言い訳を探していたら、涼やかな声と共に視界が引き寄せられる。
 頬に両手を添えられて、エアグルーヴの綺麗な顔。青い瞳に屈折したひかりが綺麗に揺れている。
 じいっと。拗ねていた。なんだか少し幼気で、ふっと妹の顔が浮かぶような。

「おかげで今日私はすることがなくなってしまいました。貴女は酷い人です。仕置きが必要です」

「むぅ、どうすればきみは機嫌を良くしてくれるだろう」

「貴女が私の時間を奪ったので、私は会長の時間を奪おうと思います。一緒に休憩がしたいです」

 奪うといった割に、うかがうような口ぶりがなんとも慕わしい。
 一陣の風が吹いて、ふわりと桜の梢を揺らしていった。同じようにして、私も胸の奥がやわらぐのを感じている。それは、きっとまどろみのような優しい時間になるだろうから。

「ではこのまま。この中庭のこと。エアグルーヴが育てた花のこと、教えて欲しいかな」

──……はい。しかた、ありませんね」

その言葉と共に、つんとした表情が微笑みに変わる。涼やかな顔色が、ようやく紅く色付いた。
春の陽気が目の前の花畑に落ちて、きらきらと銀や金を散りばめた幻想みたいに広がっていた。



 花達は私こそがといわんばかりに花壇いっぱいにその天然色を振りまいていた。シバザクラネモフィララナンキュラス。小さな花弁を咲き誇らせて、まるで絨毯のように中庭を彩っている。

「それで、素敵なお知らせというのは?」

「それは、その、私の誕生日です──……」

 お恥ずかしいです、と。
 意地っぽくあごを引いて、尻尾を可愛らしく垂らして。ほんのわずかに耳を掠めるほどの小さな声。想像とはまるきり違っていた。きみは、ほんとうに。 

「実はこれだけ言いたかったのです。誕生日に、この花畑を会長に見てほしかった。一緒に見たかったのです。なのに貴女はひとりでに、ここにいたものですから」

「ふふ、なんだかきみにしては幼子のよう──

「怒りますよ、会長」

「ごほん、冗談だよ。実は今日のこと、私にも理由があってね」

「理由ですか」

「友人が誕生日で、祝いの品を今日中に手渡したかったんだ。いつ会えるものかと、今日はその事ばかり考えていたら仕事の手だけが回ってしまって」

「……、……、そうでしたか。その友人は、その気持ちだけできっと」

「だったらいいな。とても、大事なひとなんだ」

「……あの、困りました。会長」

「うん?」

「なぜだか、今、あなたの方を見られないのです。それもおそらく会長のせいで」

「はは……、実は私もなんだ」
 
 言いながら、胸をあたためるこの感情が私には判らない。喜びとかせつなさとか、親愛とか情愛だとかそういうものではないと思う。  
 けれど私のこの感情にまとめて名前を付けたのなら、それは“好き”で良いのではないだろうか。
変だろうか。でも、いいじゃないか。不器用な二人が不器用に友人でいたって。

「会長。花の方は、どうですか。きれいに咲いていますか」

 言われて、柔らかな花絨毯の中からなんとなく“エアグルーヴ”を探してみる。垢抜けていて、それでいて瀟洒で美しい。どれだろう、きっとどれでもない。仕方がないので一番傍で咲いていた藤色のルピナスが“エアグルーヴ”になった。

「うん、きみは優しくてとても暖かいのだね」

「あぁもう。私のことを、聞いたのではありません」

「冷汗三斗……御免。……プレゼント、いつ渡そうか。今は持っていなくて」

「もういただきました。それもけっこうな具合にたくさん、たくさんです」

 エアグルーヴは、両手で顔をおおっている。照れ隠しなのかはわからないけれど。
 ただ、優しい墨染色の耳はいつとなく力なく垂れていた。
 うん……祝いの品はあとでにしよう。
 
 寄せ合った肩が、やにわにあたたかい。
 今はただ、この春の手触りがあればいいとおもった。