またたび
ふぁ、とあくびをしながら、体を起こす。
両腕をぴったり締めて耳先までぎゅうっと身体を絞った。
「わ、変な起き方」
「……、……、来ていたのなら起こしてくれたら良いのに」
みられていたなんて。
ここ最近は忙しかったのだ。私はこの頃、新年度の催しである『リーニュ・ドロワット』の計画で奔走していた。
休憩にと立ち寄ったトレーナー室。誰もいなくて、ソファでブランケットに包まっていたら眠ってしまったものらしい。
春の陽気にあてられたんだ。薄い紅白の桜が、シャボン玉みたいに淡く窓の外を彩っていたものだから。
頬がしゅんと染まった誤魔化しに、そのあたりの毛布をかき寄せて息を吸い込める。
むぅ。変な起き方とは、なんだ。
「ねこのようだね、ルドルフは」
ふと、トレーナー君にそんな事を言われる。私にはどういうことか判らない。
「そう見えたから。どう思う?」
「私に聞かれても……。耳としっぽがそれらしいから、とかかな」
「なるほど」
とりあえず納得したらしい。合っているのか? どうして猫だなんて思ったのだろう。
自分の説明なんて心が妙な加減にむずむずする。休憩時間はまだあるけれど、はやく仕事に戻らねば。
でもその前に、なんとなくトレーナー君の感覚を確かめてみようと思う。
「にゃん」
手を丸くして媚を売ってみた。トレーナー君は読んでいた本を取り落としてぷるぷる震えている。
効果覿面だった。
「ル、ルドルフ……」
「にゃあん?」
鳴いてみた。トレーナー君は面白いくらいうろたえている。ふふ、普段冷静な君があたふたしているのを見るのは楽しい。とりあえずトレーナー君の膝にとん、と腰を下ろして乗ってみる。意地悪は続行だ。寝起きの猫なんだ私は。
「なぁーん」
膝の上にのって、顔を近づけて、少し見下ろすみたいに。私の猫はこういうイメージ。
飼わせてあげているのだ。こんな感じだろう? 猫って。
でも、心はどこだってきみが好き、好きだって思っている。これは、猫じゃないかもね。
ほんとは猫もそうだろうか。自問自答。
「一体どうしたんだ、ルドルフ。そんな」
うん? おかしい、きみが言ったんだろう。ねこみたいと。
視線が逸れる。追いかける。また逸らされて、追いかける。しっぽもゆらゆら。
楽しいな。猫の気分がこうなら、本当に猫になっても良いかもしれない。
「な、なぁ。ルドルフ? 近い、顔が近いぞ」
困った顔も好き。少し上ずった声も好き。白黒している瞳だって。
顔が近いなんてあたりまえだろう。きみの猫なんだから。
トレーナー君が、まばたきをした。
でも瞬きなんて許していないよ、トレーナー君!
「ちゃんとこちらを見て」
じ。猫は人の言葉だって喋る。人参だってすきだよ。舐めないで欲しい。
「と、突然素に戻らないでくれ」
「きみが見てくれないのが悪い」
「直視できないんだよ……!」
「どうして?」
「……可愛すぎると思うから」
「ふふ。では、目を離さないで」
ねえ、トレーナー君。
こんなにいい気分なら。
本当に、猫になってしまってもいいよ。
すっ、と。さっきまでこわばっていた手が、髪を撫でてくる。私を優しく梳いてくれる。
そう、そう。いい心地にさせて欲しい。猫心と秋の空は変わりやすい。大事にしてくれないとすぐどこかにいってしまうのだ。
「あまり悪い猫には、悪い狼が来て食べてしまうかもしれないぞ」
「なぁーん」
きみが狼だって? 優しく優しく耳を垂らした、犬みたいなのに。
でも、きみにだったらいいかもしれない。
ね? トレーナー君、いいよ。
「食べて?」
沈黙に、沈黙。
トレーナー君は黙って変な動きを始める。天を仰いで顔を両手で覆ったかと思えば、足でたんたん地団駄を踏んでいたりする。面白いから膝の上でもう少し見ている。
「据え膳食わねば」
「わ」
ぐっと髪を抱き寄せられて、おそるおそる顔が近づいていく。
偶然であった孤独な猫と狼が、興味を惹かれあうみたいに。
くちびるを薄く開いて、それから────ピピピッと、アラームが鳴る。
「……ふふ、時間切れだね。もう戻らないと」
さっと膝から飛び降りる。
スマートフォンが鳴って休憩の終わりを告げる音。
トレーナー君は、翻った私のしっぽを追いかけるみたいに手を空に伸ばしていた。
お預けを貰った、可愛い犬のように。
「トレーナー君ったら、そんなふうに抱きしめてくるのだね。少し苦しくなってしまったよ?」
なんて、本当に苦しいのは、リーニュドロワットのように追い込みをかけられた心。
でもね、きみが狼なら追い込みみたいな待てが出来るなんて許さない。狼みたいに噛みついて。それくらい好きでいてくれないと、困るのだ。猫だから。
「今度は間に合うように、愛でておくれよ」
ドアを引いて部屋を出る瞬間。そっと振り返って、にゃん、と手を丸める。
私の狼はまだまだ格好悪い。